河豚毒とは?

フグの骨は日本各地の貝塚から多量に見出され、フグが先史時代から食用にされていたことがわります。古くは筋肉部だけを生食したらしいのですが、後世、煮炊きして内臓まで食べるようになってから中毒による死亡事故が頻発し、桃山時代頃からしだいに法令によってフグを食用に供することを禁止する措置がとられるようになったそうです。

たとえば、尾張藩の禁札に、「一、河豚捕来売捌候漁師買取売捌者儲け給べ候者押込五日。一、右魚貰ひ請け給べ候者押込三日」とあるのを見ても当時の事情を推察できます。

蘇東坡の詩にも「その味死に値する」とあり、古川柳にも「ふくの汁を一つはちすとしやれて喰ひ」「ふく汁をくわねたはけにくふたはけ」
など、フグの美味と中毒を題材にした句が多いが、明治になってからもフグを食べたものを偉警罪で処分した地方があったようです。

第二次世界大戦後は中毒事故が激増し、年間数百件にも達したので、東京都では1949年(昭和24年)ふぐ取扱業取締条例を交付し、所定の試験を受けた者でないとフグを取扱う事が出来なくなりました。

東京都以外にも、県条例によって同様の取締りを行っている地方は多い。フグ毒の研究は日本で活発に進められ、1889年(明治22年)に高橋順太郎・猪子吉人が、この毒は腐敗産物でなく、フグが本来持っていることを明らかにしました。

さらに1911年田原良純博士は卵巣からフグ毒を抽出し、これにテトロドトキシン tetrodo-toxinなる名称を与えました。その後、62年に津田恭介博士らは結晶テトロドトキシンの分離に成功、c12h19o9n3なる分子式と構造式とを確定、発表しました。さらに、その会議でふぐ毒とカリフォルニアイモリの毒が同じ物だということも発表しました。

卵巣1トンからの収量は約10グラムであるが、動物の体重1キロ当りの致死量は数マイクログラムという強力なもので、その毒性は青酸カリの数百倍に相当します。

フグ毒の含量はフグの種類によっても季節によっても違うが、臓器別では卵巣がもっとも多く、次いで肝臓・皮膚・腸の順で、筋肉は極めて少なく、春の産卵期の卵巣には毒が特に多く、またこの毒は熱によってこわれないのでとても注意が必要です。

フグ毒は神経毒で、運動神経・知覚神経の抹消を麻痺させるとともに、延髄の中枢にも作用します。中毒の症状としては、まず違和感があり、くちびる・舌・手足の知覚麻痺、さらに激しくなると全身の筋肉が麻痺して言語も不明となり、呼吸が浅くなって、チアノーゼにより手足の末端や顔面などに紫斑が現れ、意識は明瞭であるが、終に呼吸麻痺により死亡するにいたります。

中毒時の対策としては、直ちに吐剤・下剤を与え、血圧上昇剤によって血圧を維持し、人工呼吸を施す。テトロドトキシンは医薬としても用いられ、神経痛・胃痙攣・皮膚掻痒・夜尿症などに適用されてるようです。

 

参考:大日本百科辞典